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プロフィール

たか

  • 生年月日:1976/8/5
  • 仕事:研究開発
  • 座右の銘:思い立ったが吉日

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12月27日(月)

禁煙365日

ちょうど一年前、7年間の喫煙生活に別れを告げた。
この365日間一本たりともタバコを口にしていない---当たり前だ。そもそも「禁煙」という言葉自体がもう私には相応しくない。「禁」を辞書で調べると「禁じられていること。また、その事柄。(大辞泉)」とある。つまり、それを本当はやりたいのだけれどやらない、もしくは、自分の意思とは関係のない理由でやれない、ということである。私の場合はそうではない。タバコとの縁を自らの意思で絶つ「絶煙」が相応しい。

私は自分が喫煙者であったとき、誰かが「タバコを止めました」と言うのを聞くと、それがやけに自慢げに響いたのを思い出す。今自分がその立場になってみたら、そう感じたのは単なる思い過ごしであったと良く分かる。タバコを止めた人にとって、その行為は完全にパーソナルな理由によるパーソナルな目的のものであり、絶煙達成を誰かに自慢することに全く意味は無い。誰かの言葉を借りれば、まさに「自分の、自分による、自分のための」行為なのである。タバコを止めることができた(もしくはしばらく止めている、または本数を減らすことができた)ということを他人に自慢げに話す人がいるが、こういう人はおそらくタバコとの縁を切るのは難しいだろうと私は考える。

昨年の年の暮れに絶煙を思い立ち、家中の灰皿とライターを不燃物のごみに出すときの複雑な気持ちが今では懐かしくすら感じる。タバコにも良い側面がいくつかあることは私も身を以って経験して知っている。しかし総合的に考えてみるとやはり「吸わなくて済むに越した事は無い」という結論に私は至ってしまう。

私がタバコを吸うことは未来永劫無い。
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