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たか

  • 生年月日:1976/8/5
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04月16日(土)

海津町歴史民族資料館と行基寺

先月、岐阜県大垣市の友人P宅へ遊びに行った。何をして遊ぼうかと手持ち無沙汰になった折、ふとJR大垣駅で手にしたパンフレットに載っていた「海津町歴史民族資料館」に行ってみようということになった。そこに掲載されていたこの資料館の城のような外観に我々は心惹かれたのである。大垣市からも程近い。
PIC000006s.jpg海津町民族資料館

ちなみに、なぜ心惹かれるのか理解に苦しむあなたが普通の人なのである。このPは日本文化に興味のある私の数少ない友人の一人で、つまり「ちょっと変わった人」であると言える。その証拠に、我々二人がこの海津町民族資料館に心ときめかせて到着したとき、快晴の土曜日だったにも関わらず客は他に1組しかいなかった。

1階、2階のモダンな建物部分は「輪中と低地の暮し」に関する展示室であった。皆さんは「輪中(わじゅう)」とは何かご存知だろうか?大辞林の説明を引用させていただく。

洪水から集落や耕地を守るため、周囲に堤防を巡らした低湿地域または共同村落組織。江戸時代につくられたものが多く、木曾・長良(ながら)・揖斐(いび)の三河川の合流地域につくられたものが有名。

まさにこの海津町は木曾三川の流域にあり、この町の歴史は洪水による災害と輪中無しには語れないのである。しかしながら、我々の興味は3階のお城部分に向いていたので、輪中についての話は割愛する。
3階は「高須藩」に関する展示。この海津町は江戸時代には「高須松平藩」の領地であった。高須松平家に対するパンフレットの説明を引用する。

高須松平家は三万石の小藩であったが、御三家筆頭の尾張徳川家の分家であり、尾張徳川家に後継者が無いときは相続人を出す家柄であった。したがって家格は高く、徳川御三家、御三卿に次ぐ名門であった。

大垣市の近くに何年も住んでいながら、こんな近所に名門の松平家があったことは全く知らなかった。この高須松平家縁の品々が3階に展示してあるのだが、当時の松平家の館の一部を復刻したというこの建物自体が素晴らしかった。内部には立派な能舞台もあり、年に数回実際に能が上演されているとのことであった。
PIC000018s.jpg能舞台と大広間

PIC000021s.jpg展示品の鎧と畳廊下

この3階に歴史に非常に詳しい説明員のおじさんがいて、我々に付きっきりで展示品や松平家の歴史について熱心に説明をしてくれた。素敵なおじさんだった。説明の途中、おじさんが窓から外を眺めて向かいの山の中腹に見える建物を指差し、「あそこにこの高須松平家の菩提寺の行基寺というそれはそれは立派なお寺がある」と教えてくれた。これを聞いて行かない手は無い。私とPはここを見終わると、さっそくその行基寺に向かった。

PIC000034s.jpg菊葵紋が掘り込まれた行基寺の門扉

ここは来て本当に良かったと思わされた。特に素晴らしいのは本堂の裏手の「回廊式大庭園」という庭園で、これを見るためだけでもこの寺に行く価値があると断言しよう。それくらい美しい庭園だった。山の中腹にあるお寺なので、庭の向こうに見える景色もこれまた素晴らしかった。
PIC000039s.jpg回廊式大庭園

PIC000042s.jpg庭園を囲む回廊の一部

もしここへ行ってみようとするならば晴れた日に行くことをオススメする。

近所にはいろいろと気づかない素晴らしい穴場がきっとまだまだたくさんあるのだろうと思った。海外旅行もいいが、まずは日本だ。
 

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輪中輪中(わじゅう)は岐阜県南部と三重県北部、愛知県西部の木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)とその支流域に存在した堤防で囲まれた構造あるいはその集落のこと。船舶における防水区画のような役割を果たす。曲輪(くるわ)、輪之内(わのうち)とも呼ばれる。江戸期に ...

 
 

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